和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

捨てる勇気 (2)

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新たな活躍の場

大きな仕事を任された私の先輩でしたが、会社の方針転換から、全力を注いでいたプロジェクトが中止となってしまい、その後、体調を崩した先輩は病気休職となってしまいました。

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幸いにして、先輩は半年余りの休職の後、職場復帰を果たしましたが、周囲は彼を腫物のように扱いました。これまで大きな仕事になると真っ先に声をかけられたのが、周りが慌ただしく動く中で自分だけが蚊帳の外のような立場に置かれたのです。

 

部の中で先輩以上に仕事の段取りに長け、豊富な知識を有している者はいないはずにも拘らず、上司は先輩の病気の再発を恐れて仕事を任せることが出来ませんでした。一方で、周囲の先輩社員は、そのような事情を知ってか知らずか、先輩のことを「病気を言い訳にして」サボっていると言うようなことを他の部署に吹聴するのでした。これまで仕事に情熱を注いできた人に対して、これは酷い仕打ちです。

 

しかし、社内で自分が主流から外されたと知ってからの先輩は、そこで腐らずに自ら新しい生きる道を見出したのです。

 

先輩は黙々と仕事をするタイプで、あまり無駄口を聞きません。社交的ではなく内向的、物事を突き詰めて考えるタイプで、あまり発想を広げるような人には見えませんでした。ところが、手持無沙汰だった先輩は、部内の若手に声を掛けて、新しい事業に着手する際の経済性検討の「基礎講座」を始めました。

 

当時は、若手社員の教育プログラムは、入社時の研修以外は無く、新入社員研修後は、それぞれの配属先の先輩社員が「教育担当」として業務を教えるのが常でした。これでは、特定の業務には精通していても、仕事を体系的に理解することは出来ません。私もその例に漏れず、部としての目標と、それを達成するための自分の役割は何かと言う意識が欠落していました。

 

業務全体を理解していなければ、自分の担当業務は何のために必要で、何を期待されているのかが明確になりません。逆の見方をすると、全体が分かっていれば、自分の役割や業務の達成イメージは自ずと湧いてくるものです。

 

先輩の講座は週1回、昼休みの1時間を使って行なわれました。それぞれ弁当を持ち寄ってのランチミーティングです。最初は私を含めた3人だけの小ぢんまりしたものでしたが、徐々に“受講生”が増え、10人ほどの会議室では収まらなくなってしまいました。

 

その話を聞きつけた人事部は、若手社員のための「実務研修」を行なうこととし、先輩に講師を依頼しました。先輩はその話を快諾したのですが、人事部に対して、他の部署で豊富な知識や経験を持っているにも拘わらず、いろいろな理由で閑職に回された社員の名前を数名挙げ、それぞれの分野の基礎講座を持ってもらうよう提案しました。

 

今まで、一旦閑職に飛ばされた社員は、半ば生殺しのような扱いを受ける人が多く見られました。しかし、組織の主流から弾き飛ばされるのは、上役の受けが悪かったり、周囲からの嫉妬により業務を妨害されたりと、必ずしも能力の有無だけが理由ではありません。そのような隠れた有能社員に対して、後進の育成と言う活躍の場を提供できたのは、人事部の努力もありましたが、その人事部を動かした先輩の一言があったことも無視できません。

 

先輩はその後、人事部に新設された人材教育課に異動となりました。当初、先輩は課長になるように言われたそうですが、これを固辞し仕事に専念する道を選び、以来、会社人生を社員教育に注ぐこととなりました。

 

失うものと得るもの

私は、先輩をすぐ近くで見てきた人間として、病気休職する前後の様子を知っています。病気前の先輩は、静かな中にも野心的な部分が垣間見え、仕事人間の鏡のような人に思えました。それが、休職明け、後輩の育成を自分の天職と信じるようになった先輩は、気軽に相談できる相手という雰囲気を持つようになりました。

 

大きな仕事を任され、それを成し遂げると言う、メインストリームでの活躍の場を失った先輩が、その代わりに得たものは、会社にとっては裏方業務である社員研修と言う仕事でした。これまで心血を注いだものへの執着を捨てられなければ、新しいことにチャレンジする気力を持つことは出来ません。その意味で、先輩は新たな活躍の場に飛び込むために、これまでの一切を捨てる勇気を持ったのだと思いました。

 

研修の成果は即効的なものではなく、長い目で見てみないと、その効果の有無は評価できません。そういう意味で地道な仕事ではありますが、先輩としては、自分の知見をできるだけ多くの若手に継承することに喜びを感じたのだと思います。

 

そんな先輩の退職は、私の印象に残るものでした。普通、退職する社員は、回数の多少はあるものの、いろいろな方面から送別会の誘いを受けます。しかし、先輩は病気休職以来、同僚や同期から距離を置かれ、送別会の誘いも無い様子でした。

 

一方で、私や私と同年代で、先輩主催の基礎講座の“元受講生”でささやかながらも送別会を開こうという話が持ち上がりました。その話を先輩に伝えたところ、方々から送別会の誘いを受けて大変だということを聞かされました。私が驚くと、先輩は、社員研修の元教え子たちから送別会に誘われていると嬉しそうに話しました。後にも先にも、あれほど後輩社員から慕われ、送別会までしてもらった人を私は知りません。これこそ人徳なのです。

 

現在も若手社員のための実務者研修は、不定期ではありますが、通年開催のプログラムとして定着しています。そのきっかけを作った先輩は、すでに退職してしまいましたが、若手社員にとって非常に貴重な勉強の場を作った功績は、とても大きいと思います。