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人種差別デモ 何のための抗議なのか

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略奪でガス抜き?

米国ミネソタ州の人種差別デモをしばらくチェックしていたのですが、ここ数日あまり大きく取り上げられることが無くなりました。

 

今回の発火点はミネアポリス市でしたが、抗議活動は全米の主要都市に飛び火しました。メディア等のニュースでご存じの方も多いと思いますが、純粋な抗議活動を超えた暴動や略奪行為も報じられています。スーパーやショッピングモールの扉をこじ開けて乱入する暴徒を見て、これが正当な抗議活動だと信じる人はいないでしょう。どう考えても、この機に乗じて略奪を行うつもり満々としか見えませんでした。

 

このような略奪行為を、人種差別によって抑圧された人々のガス抜き的なもの、と寛容な理解を示す必要など全く無いことは明らかです。また、今回のデモは、白人警察官が黒人被疑者を拘束する際に窒息死させてしまったことが発端ですが、これを、「白人による黒人殺害」と捉えるか、「警察官による被疑者殺害」と捉えるかによって、受け取る印象が全く異なります。

 

問題の本質を見極めているか

たとえば、「白人警察官による白人被疑者殺害」、あるいは「黒人警察官による黒人被疑者殺害」だとしたら、これほど大きな講義活動が繰り広げられていたかと言うと、私は懐疑的です。例えば、被疑者がアジア系だった場合はどうでしょうか。

 

私は、今回の白人警察官の行為を擁護も非難もするつもりはありません。材料が少ないからです。警察官が、身柄拘束の際に被疑者を死に至らしめたと言う事実は変わりありません。しかし、見方を変えると、警察官が手加減し、被疑者に逆襲されるリスクも否定できません。そして、当の警察官が、“被疑者がなんとか隙を作ろうと、苦しんでいる振りをしている”と思っていた可能性だってあるわけです。

 

また、報道にあるように、死亡した被疑者は重罪前科者でした。一部ネット上では、それを理由に、少々手荒に扱われても止む無しという見方もあるようですが、これは的外れな話で、初犯であれ重犯であれ、身柄確保時の扱いに差があってはならないはずです。これは人種の違いで扱いに差があってはならないことと同意です。

 

様々な状況証拠を集めた上で検証しない限り、今回の事件が、本当に白人警察官の黒人蔑視による犯罪行為か否かは判断できないはずで、その判断の過程をスキップして人種差別問題にしてしまうのは、個人的に違和感を覚えざるを得ません。

 

何が問題なのかを正しく見極めずに論点をすり替えてしまうと、本来改めなければならないことが、置き去りにされてしまう恐れがあります。今回の場合、警察官側に黒人蔑視があったと言う確固たる証拠が出てくるまでは、人種問題とは関係の無い、被疑者逮捕時における身柄拘束方法の妥当性の問題に尽きると考えます。

 

もっとも、あらゆる問題が、人種差別の方向に導かれる傾向自体が、米国の抱える問題の本質なのかもしれません。

 

キング牧師の夢 アメリカンドリーム

ところで、米国のことをあまり勉強せず、「自由と平等の国」で一旗揚げようと彼の地に向かった人は、おそらく、依然として人種差別が残っている現実に驚き、失望するかもしれません。公民権法が制定されてから50年余り経っても、米国は人種問題に苦しみ続けています。

 

リンカーン大統領が奴隷解放宣言に署名したのが1863年、その100年後の1963年にキング牧師が、あの有名な“I have a dream”の演説を行います。

 

キング牧師の言葉は、アフリカ系アメリカ人公民権獲得の困難な行く末を見据えた上で、なお、希望に溢れるものでした。演説の中盤、「私には、アメリカンドリームに深く根差した夢がある」で始まるその下りが、今でも語り継がれるのは、そこに理想とすべき自由と平等が描かれているからだと思います。

 

アメリカンドリーム」は、“成功のチャンスは、努力する者全てに平等に与えられる” ということです。演説で語られるキング牧師の夢はとても映像的で、聞く者が頭の中で容易の思い描けるものです。以下は私が一番印象的と感じた一節です。

 

I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave-owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.” (私には夢がある。いつか、ジョージアの丘陵の上、かつての奴隷と主人の子孫たちが、同胞としてともにテーブルにつくという夢だ。)

 

ジョージア州では、かつて奴隷を利用して農園経営を行っていました。赤土の丘陵は同州の象徴的な田園風景。1960年代前半のアメリカでは、学校や乗り物、レストラン、果てはトイレまで白人と黒人は区分けされており、厳然たる差別が残っていたことを考えると、キング牧師の言葉の重みが伝わってくると思います。

 

しかしながら、注目したいのは、キング牧師の願いが、かつて自分の祖先たちが味わった辛苦の恨みを晴らすことでは無く、同胞として対等な立場を求めていた点です。そして、それをあくまでも非暴力的に達成しようと試みたのが1960年代前半の公民権運動でした。

 

今回のミネアポリスを始め全米各地のデモの全容は、メディアの報道だけでは判断できないので何とも言えませんが、一部の略奪行為や暴動を働いた者たちを正当化する理由は見当たりません。天国のキング牧師はこれを見てどのように思われるのでしょうか。