当たり前のことに感謝 (1)

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人によって全く異なる“当然”

“当然”と言う言葉。「これくらいは、できて当然」、「そんなもの、言われなくてもやるのが当然」等々。当然のことをした方としては、いちいち相手からのお礼を期待しているわけではないのでしょうが、それでも、「やって当然」という態度を見せられると、良い気分はしないものです。

 

以前、私が北米に駐在していた頃、現地社長の秘書が私のオフィスに飛び込んできて、こう言いました。「日本では秘書がどのように扱われているかなど、全く興味は無いけれど、せめて、ここでは私のことを最低限リスペクトしてほしい」。彼女は口惜しさから、目を真っ赤にしていました。

 

呆気に取られている私に、さらに彼女が言葉を続けます。「お願いだから、プレジデントに、“プリーズ”と“サンキュー”だけはつけるように言ってちょうだい」。

 

自分の仕事を感謝してもらいたいわけでは無く、奴隷に対するような命令口調を止めてもらいたいことと、自分が何か役に立っているということを実感したいだけだ、と彼女は言います。

 

私は彼女を宥めながら、厄介なことを引き受けてしまったと思いました。決して社長は悪い人ではないのですが、ぶっきらぼうなところがあることと、彼が長い間東南アジアのとある国に駐在していたことが、今回のトラブルの原因でした。

 

社長が若かりし日に駐在していた国では、一家に一人、メイドさんがつくことになっていました。食事や掃除、家の中のことは全てお任せです。メイドさんに対する指示は、片言の英語、あるいは、単語の羅列で済んでしまいます。そして、メイドさんは、雇い主の言いつけに従順に従うものだというのが“当然”だったのでした。

 

社長は、その意識をそのまま北米に持ってきていました。秘書からしてみれば、まるでペットにお手をさせるような指示や、仕上げた仕事に対する無反応と言った上司の態度に、我慢できなかったのでしょう。

 

私は、できる限り慎重に言葉を選んで、秘書への指示の仕方について社長に話をしましたが、聞く耳持たずといった態度でした。私にとっては予想どおりの結果でした。社長は以前から、事あるごとに、過去の駐在経験を引き合いに出して、北米での駐在が気に入らないことをこぼしていました。

 

ところが、しばらくして、秘書が嬉しそうな顔をして私のところにやって来ました。「プレジデントが今日、初めて“プリーズ”を使ったわ!」 赤ん坊が初めて笑った、というのと同じくらいの喜びようです。私は怒られ損をした気分だったのですが、彼女のその一言で救われた気がしました。

 

社長としても、自分よりも30歳近く下の私から、諫められたことは面白くなく、急に態度を変えることに抵抗があったのでしょう。少し間を開けてから、徐々に秘書への態度を変えていったようです。

 

それはともかく、仕事だからやって当然ということであっても、相手に「お願いしてやってもらう」、そして「やってもらったことが役立っている」という気持ちを伝えないと、相手から仕事に対する遣り甲斐を奪ってしまうことになると感じた一件でした。

 

感謝の言葉は減るものでは無い

そんな経験もあって、私は帰国してからは、言葉でのコミュニケーションには、一層気を遣うようになりました。今でも、誰かに仕事をしてもらった時には、必ず「ありがとう」という言葉は欠かさないようにしています。直接でもメールでも、相手が「お礼には及びません」と言ったとしても、感謝されて気を悪くする人はいないはずです。

 

同僚や部下と食事に行った時に、私が「頂きます」とか「ありがとう」と言うと、たまに、奇異な目で見られることがありますが、お店の人に感謝しても罰が当たるわけでも無く、相手が気分よく仕事をしてくれるのであれば、それに越したことはありません。「こっちはお金を払っているのだから、やってもらって当然」という者がいましたが、お店が「サービスを提供しているのだから、お金を払うのが当然」と考えていたら、どんな気持ちになりますか。

 

余談ですが、「頂きます」に該当する英語は、どうやら無いみたいです。「レッツ イート!」と言うのも的を射た表現ではありません。彼の地で、同僚や取引先の人と食事をするときは、全員のプレートが運ばれてきたら食べ始めるというのが習慣でした。時々、フランス語で「ボナ ペティ」(召し上がれ)と言って食べ始める人を見かけることもありました。私が日本語で「頂きます」と言うと、周りは「何、それ?」と訝しがります。そこで、料理を作ってくれた人や食材を提供してくれた人への感謝や、自分が生きて行くために生き物の命をもらうことに対する感謝を表す言葉だ、というようなことを言うと、何となく納得はしてくれます。「それは、武士道か?」と的外れな質問をされたこともありますが・・・。

 

「やってもらって当然」、「あるのが当然」、など、“当然”のことは、本当に当然のことなのか、生まれてくる人間に漏れなくついてくるものなのか。よく考えると、そんなことは無いと気づきます。「給食費を払っているのだから、子供に“頂きます”は言わせるな」などと、わけの分からないことを言い出す親が出てきたのは、“当然のことが、実は当然ではないこと”を学ばずに大人になってしまった人々が増えてきている証拠だと思います。(続く)