最後の一日のつもりで

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本当の危機感

新型肺炎の感染者が急増し、命を落とす人の数も日に日に増えています。幸い私の身内や会社の同僚の中に発症者は出ていませんが、この新しい病の脅威が近づいてきている感じがします。

 

ついこの間までトイレットペーパーの買い占め騒ぎが続いていました。マスクや消毒用アルコールは依然入手が困難な状況です。都知事の“週末の外出自粛要請”が出た際には、近所のスーパーでは、午前中にインスタント食品のみならず生鮮食品まで売り切れてしまいました。

 

先行きは不透明ですが、今後、食べ物や日用必需品が手に入りにくい状況となった場合、新たな買い占め騒動が始まるのではないかと不安を感じています。年齢や性別に関わらず、自ら学ばず、あるいは垂れ流される無責任な報道を鵜呑みにして行動する人がなんと多いことか。少し頭を働かせれば、早朝から行列を作ってトイレットペーパーを買い求める必要などないことは分かったはずです。

 

片や、よその国ではなく、自分たちが住んでいるこの国で新型肺炎の感染者数が急増していても、自分の回りに犠牲者が現れるまでは騒ぎは他人事。手洗い、うがいもしっかりやっている。外出時にはマスク着用も徹底している。自分が感染することはないはず・・・と信じ込んでいる人は多いのではないでしょうか。あるいは、少し熱っぽいけれど、マスクをしていれば人にうつすことは無いはず、と勝手に信じ込んで出歩く人もいるのではないでしょうか。

 

マスクの買い占めに走る人間がいる一方で、感染を防ぐために必要なことを疎かにする人間がいるというのは、ある意味滑稽な話です。

 

私の勤め先では、当面の間、在宅勤務を“推奨”していますが、それでも、事務所にいなければできない仕事もあり、私自身、週のうち1日あるいは2日は出社を余儀なくされています。社員は毎日の体温測定の結果と体調について上司に報告することとなっており、私も毎朝、部下から検温結果と体調をメールで連絡してもらっています。

 

そんな状態がここ1か月弱続いています。世界的にもあらゆる分野で事業が停滞しつつある中、私の部署も喫緊の業務というものが無くなりました。既存の仕事の管理だけなので、何かに追い立てられるような忙しなさが無くなった一方、このような状況がいつまで続くのだろうか、自分や同僚、その家族が新型肺炎に感染してしまったら、そして、最悪の事態となってしまったら・・・と考えると、言いようのない不安感で頭が一杯になってしまいます。

 

私の会社では楽観的な見方をする社員の方がまだ多いようです。実際に身内が被害者にでもならなければ、事態を深刻に考えようとしない人間が多い気がします。危機的な状況というのは、実感が湧かない中、ある日突然降りかかってくるものなのかもしれません。

 

呆気ない終わり

人間に限らず、この世に生を受けたものは、その瞬間から死に向かって歩み始めます。いつか死ぬことを頭では分かっていても、誰しも、「それは今日、明日の話ではない」と思っているのです。

 

私の父親はある朝突然他界しました。長患いをしていたわけではなく、少し風邪をこじらせた程度にしか考えていなかったのですが、その死は不意にやってきました。恐らく父親本人も、自分がそのような形で死を迎えることになるとは想像していなかったと思います。

 

父の死によって、人の命は分からないものだと感じることはあっても、私はこれまで自分の死を考えることを避けてきました。まだまだ先の話、今考える必要はないじゃないか、と。

 

ところが、今回の新型肺炎での死者急増や、この病の進行の早さ、重篤化すると手の施しようが無いということが分かり始めると、“突然の死”というものが決して他人事ではないと思うようになりました。それは周囲の人間が悲嘆に暮れる間もないほどに呆気ないものなのかもしれません。

 

最後の一日

誰でも、死ぬまでにやっておきたいことがあると思います。「やりたいことは全てやった。もう思い残すことは何も無い」と思える人は幸せです。私は煩悩の塊のような人間ですから、次から次へとやりたいことが湧いて出てきます。もちろん、時間とお金の都合もあるので、自由気ままに何でもできる立場ではありません。ですので、今は無理でも、“死ぬまでに”実現しようと思っているリストが頭の中に入っているのです。

 

そのような夢を描いていても、私の死は突然やって来るかもしれません。もしかしたら、今日が私にとっての最後の一日になるかもしれないのです。愛する妻や娘たち、仲良くしてくれた方々にお別れの挨拶もできないまま、この世を去ってしまうことだってあり得ます。そう考えると、私の「やっておきたいリスト」は脇に置いても、人とのつながりを大切にしたいと改めて思いました。日々の何気ない挨拶も、メールの返信に対するお礼も、何もかも“最後の挨拶”のつもりで、心を込めて行いたいと思います。まさか相手は、私がそのようなことを考えているなどとは知る術もありませんが。