俺様のお尻拭き

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コミュニケーションが生み出す安心感

生まれたばかりの赤ん坊は泣くことでしか自分の欲求を人に伝えることができません。親はそれを見て、おなかが空いているのだろうか、おむつが濡れているのだろうか、などと気を回します。

 

もう少し大きくなった子供でも、自分の思い通りにならないことがあると、泣いたり喚いたりします。駄々をこねると親が自分の言うことを聞いてくれるものだと思っているからです。

 

さらに成長すると、親は子供に対して、きちんと言葉で欲求を伝えるように言い聞かせます。そうすることで、子供は自分の欲求を感情ではなく言葉で伝えることを身に着けます。

 

そして、言葉を巧みに操れるようになればなるほど、自分の気持ちを相手に伝えることが苦でなくなり、感情の制御もうまくなっていきます。海外に行って、言葉が通じずにイライラすることがあるのと同じです。現地の言葉が話せるようになって自分の言いたいことが相手に伝えられるようになると、気分が楽になります。

 

人と通じ合えるということ – コミュニケーション - は、自分の気持ちをいつでも相手に伝えることができる、いざという時に誰かに助けを求めることができる、人とつながっていられる、という安心感を与えます。

 

言葉が通じない

しかし、コミュニケーションが成立するには、とても大切な条件があります。それは、お互いに相手のことを理解しようとする姿勢です。

 

なんだ、当たり前じゃないか。そうです。至極当たり前のことです。でも考えてみてください。初めて訪れた異国で、のどが渇いて死にそうな時。店先で、身振り手振りを駆使して必死に水が欲しいと伝え、店員もその様子を必死に理解しようとする。ようやくコップに入った水が手渡された時、コミュニケーションが成立したと言えます。たとえ言葉が通じなくても、お互いに相手を理解しようとすれば、コミュニケーションは成り立つのです。

 

逆に、共通の言語を使っている者同士でも、どちらか一方が相手の思っていることを理解しようという姿勢を持ち合わせていなければ、意思の疎通は生まれません。

 

学校や職場で、“言葉が通じない”と感じた経験はありませんか? 以前、「相手の気持ちを察するには」という記事を書きました。相手のことを理解するには、その相手の気持ちを掬い取り、話を最後まで聞くことが大切だという話です。

 

lambamirstan.hatenablog.com

 

何でも知っている俺様

数年前、国の補助金で事業を立ち上げる話があり、私と若い担当者の二人である省庁に出向きました。蝉の鳴き声がうるさい季節でした。彼にとっては入社後初めて任された大仕事です。

 

対応に出たのは管理職と補佐役。管理職はまだ若く見えることから、おそらくキャリア組なのでしょう。肘掛け椅子に体を預けると、ふんぞり返って足を組みました。補佐役はその横で礼儀正しくメモを取る準備をしています。管理職は仕事で嫌なことでもあったのか、不機嫌そうな表情を見せています。当初1時間の面談アポを入れていたのですが、その場になって20分にしてくれと言われました。

 

担当者は緊張の面持ちで説明を始めましたが、相手はその説明にはほとんど興味を示さず、手渡した資料を捲っていき、あるページに指を止めると説明している内容と全く無関係の質問をしました。

 

担当者は、自分が考えていた段取りと違ったことが起こり言葉に詰まってしまいました。節電のためか、空調がほとんど効いていない応接室に嫌な空気が流れます。担当者の表情を横目に私が助け舟を出しました。「お尋ねのことはこれからご説明しますから、まずはお聞きになってください」。

 

相手は不快感を顔に浮かべ、内容など資料を読めば分かる、時間が無いから自分の質問に答えろと高圧的な態度を崩しません。“俺様は何でも分かっているんだ”ということのようです。止む無く質問を受けることとなりましたが、事業の本質とは別の、的を射ない質問です。資料の内容を理解しているとは到底思えないものばかりです。

 

予定の20分をやや過ぎた頃、管理職は腕時計に目をやると、「おたくらの説明は分かりづらいな」と吐き捨て、プイっと席を立つと補佐役を残して部屋を出て行ってしまいました。管理職とは対照的に人の良さそうな補佐役は、自分は時間があるので、最初からもう一度説明をしてほしいと言います。若い担当者は安堵のため息を漏らしました。首筋は汗でびっしょりです。

 

プライドという名の耳栓

利害関係にある相手でさえ、対話をする時には暗黙のルールがあります。お互いの主張に耳を傾け、相手の言わんとしていることを理解するために必要な質問をする。ということです。説明を聞きもしないで質問などできるはずがありません。相手の説明を途中で遮る人は大概、自分の頭の中で都合の良いストーリーを勝手に組み立ててしまい、的外れな質問をしがちです。そして、後になってから「そんな話は聞いていない」と騒ぎ立てるのがお決まりのパターンです。

 

また、基礎的な知識も無いのに知ったかぶりをしている人。基礎が分かっていないのですから、“分かっている人”同士の議論について行けるはずがありません。そのくせ、根本を理解していないことを認めることができずに、“俺様が分かるように説明しろ”と高飛車な態度を取ります。

 

私は勤め先で、このお決まりのパターンで何度も酷い目に遭ってきました。部下のブリーフィングを最後まで聞かない。勝手な思い込みをする。分からないのに分かっている振りをする。そして、役員会などでとんでもない勘違い発言をしてしまうのです。挙句の果てには、尻拭いは部下任せ。

 

エリート意識の高い人にはこのようなタイプが多いというのが、私の経験から言えることです。対話の土俵に立てないのは、プライドが耳を塞いでしまっているからなのですが、それを認めることができずに、コミュニケーションが成り立たない責任を相手に押し付けているのです。

 

仲間内であれ、上司・部下の関係であれ、コミュニケーションそのものには、上も下もありません。意思疎通を支えるにはお互いの努力が必要なのです。