和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

暴走する感情

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自分しか見えない

以前の記事で、感情表現が豊かな人はつき合いやすいと書きました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

しかし、これも程度問題です。何かの拍子に感情が暴走し、それを制御できないのだとすると、その人は何か問題を抱えています。そうなるとこちらが期待するコミュニケーションは成立しません。

 

まだ私が30代前半の頃。ある部署で欠員が生じ、すぐには人員の補充ができなかったため、私が兼務で業務をサポートすることとなりました。兼務先は本部長特命グループというところでした。どのような仕事を任されるのか分からず、私は自分の上司である課長に尋ねました。当時の課長は金融機関から出向して日が浅く、私の兼務先の業務内容までは把握していません。ということで、私は、挨拶がてら兼務先のグループリーダーに仕事の中身を聞いてみることにしました。

 

リーダーのSさんは、顔と名前が一致する程度で人となりは見当がつきません。私が挨拶に行くと、分厚いファイルを渡され、それを読んで勉強をしておくように言われました。気難しい人、というのが私の第一印象でした。

 

ひとまず分かったことは、そのグループはSさんと私だけの組織だということ。事務補助は誰もいません。毎週火曜日に行われる役員会で海外事業の進捗を報告するため、各部署からの情報を取りまとめて資料を作ります。それが私の役割でした。また、不採算事業の改善策作りを担当部と共同で行うことも業務の一環でした。

 

Sさんは同僚や目下の人間には終始不機嫌な表情しか見せません。私が何か分からないことを聞き返すと、露骨に面倒臭そうな顔をします。反対に上席の人間にはあからさまに媚びへつらうのです。ここまではっきりした二面性を持った人に出会ったことはありませんでした。同僚や部下こそ、本来良好な関係を築き維持すべき対象だと思うのですが、Sさんにとっては何の価値も見出していない様子。一緒に仕事をする仲間などSさんの目には映らないのでしょう。自分しか見えないのです。

 

思い通りにならないのはお前のせい

それでも、資料作りなどの打ち合わせ以外はSさんと話すこともなく、席も離れていたので、2か月ばかりは大きな問題も無く過ごしていました。ところが、安心している時に予想外のトラブルが起こるのが世の常です。

 

四半期ごとの決算発表を控え、海外事業の業績と事業改善策を社長に説明するタイミングとなりました。社長室の隣の応接室に関係役員とSさん、そして末席に私が座りました。概要はSさんが説明し、各項目の詳細は私が話すことになっていました。

 

社長から、あるプロジェクトについて質問がありました。海外の大手企業とのジョイントベンチャーで、当社は子会社を通じて事業に参加していました。事業参入以来の赤字続きで、配当どころか元手を回収する見通しも立っていません。社長の質問は、計画時の収支見通しと実績との乖離についてでした。

 

これまでの事業部の説明では、ジョイントベンチャーを主導する大手企業が、当初の計画通りの製品製造を行ってこなかったことが、赤字の原因というものでした。Sさんは従来の説明を繰り返します。しかし、理由はそれだけではありませんでした。

 

私はSさんの説明の後、もう一つの理由として、プロジェクト参入時の権益取得費が高額過ぎたため、減価償却費が重しになっていることを付け加えました。そのため、今後景気回復などにより売上高がかなり上がらない限りこの状態が続くことを補足しました。端的に言えば、参入時の見通しの甘さが敗因だと言うことです。「これまで聞いていた話と違うじゃないか!」社長の大声が部屋中に響き渡りました。

 

その後、執務室に戻ると、Sさんは私に罵声を浴びせました。周りの社員の会話が止まるほどの勢いです。罵声とともに、Sさんが机を両手で叩きつけます。空腹を我慢できないチンパンジーが食べ物を要求するように、何度も何度も平手を机に叩きつけるのでした。私はSさんの勢いに茫然とする一方で、不思議と笑いが込み上げるのを必死で堪えていました。

 

恐らく時間にして1分にも満たない騒ぎだったのでしょうが、Sさんが激高する様は永遠に続くように感じられました。そして、怒り疲れたSさんは乱暴に椅子に腰を下ろすと、吐き捨てるように言いました。「お前のせいで俺は大恥をかいた。クビだ」。

 

心の均衡を保つには

事の顛末を部長と課長に説明すると、部長は私に“頭を下げました”。状況が呑み込めない私と課長に部長が事情を説明します。

 

Sさんは昔から上昇志向の塊のような人で、周囲の人間を踏み台にしてでも上を目指すタイプだったそうです。Sさんの下についた部下は長続きせずに別の部署へ異動したり、精神的に参ってしまって退職を余儀なくされたりしました。その結果、Sさんは会社のメインストリームから外されることとなったのでした。

 

今のように社員の転職が普通の時代ならいざ知らず、ひと昔前までは – 少なくとも我が社では – 部下が仕事への不満を理由に退職すると、上司に罰点がつくことになっていました。私がSさんのグループを兼務することになったのも、その直前まで働いていた部下が急に退職したからでした。その結果、Sさんは、“部下を持たせてはいけない管理職”ということになっていたのです。

 

それにしても、と私は考えました。私の“余計な”一言が社長の逆鱗に触れたことは確かです。それによってSさんが怒るのも分かります。しかし、人目を憚らず喚き散らし、テーブルを力任せに叩くほど感情を爆発させることが私には理解できませんでした。

 

私はSさんのように激高したという経験がありません。もちろん人間ですから、怒ることもあれば、声を荒げることだってありました。でも、そんな頻繁なことではありません。ひとつには、怒りたくなるような状況にあまり遭遇しないことが理由ですが、それ以上に、怒ることはかなりエネルギーを使う行為だということが分かっているからでした。

 

何かが原因で怒ったり声を荒げたりした後、動悸が収まるとともに言いようのない疲労感に包まれた経験は誰でもあると思います。こんな嫌な気分になって、しかも体力を消耗してへとへとになるなんて馬鹿げている。感情の暴走を抑え心の均衡を保つには、怒るような状況に追い込まれる前に、それを防ぐよう努めることに限るというのが私の考えです。

 

まずは、人に期待しないこと。裏切られた時に、期待は失望や怒りに姿を変えます。部下に仕事を任せる時も期待はしない。もし、自分の指示通りに仕事が上がってこなかったとしたら、それは指示を与えた自分に責任がある。そう考えることができれば、無闇に部下を叱責するようなことはできないはず。「任せたから、あとはお前の責任」というのでは、管理する側は仕事をしていないことになります。

 

自分の責に帰すことのできない理由 - 例えば、他人に理不尽な言いがかりをつけられたなど – で怒りを覚えそうになった時。議論はしても口論はしない。コミュニケーションはお互いの努力で成り立つものです。どんな手を使ってでもあなたを貶めてやろうという相手とはコミュニケーションは成立しません。その場から立ち去るなど、悪い状況から距離を取ることが最善と考えます。

 

適度な喜怒哀楽は人間らしさを表すものとして大切にすべきだと思いますが、度を越した感情の起伏は周囲の人々にとっても、自分自身にとっても良いことはありません。