嫌われ仕事

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

ジレンマ

会社の中には好まれる部署と嫌われる部署があります。私の勤め先に限って言うと、人事部は嫌われ部署の筆頭です。労務規程で社員を“縛り”、従業員の利益ではなく、経営陣の利益を重視しているという風に取られがちです。かつて人事部に所属していた私にとっては、腑に落ちない面が多々ありますが、社内で固定されたイメージはそう簡単には払拭できません。

 

同様に、出向先でも人事担当は嫌われ役になることが多いです。私の最初の海外駐在は北米のプロジェクト会社でしたが、そこで私は労務管理と総務を担当しました。現地人の雇用を拡大する一方、労務規程が未整備だったため、専門家を雇って規程の作成、給料体系及び福利厚生制度の構築に取り掛かりました。

 

何分、入社5年にも満たず、異国の習慣にも不慣れだったため、毎日苦労の連続でした。さらに上からは、経費削減のため現地スタッフの給料を抑えろとの指示。給料を抑えれば優秀な人材は雇えない。優秀な人材を雇いたければ、それなりの給料を用意しなければならない。そのジレンマに、私だけでなく労務の専門家も頭を悩ませました。

 

苦労の結果

さて、“労務の専門家”と書きましたが、“彼女”は、恐らく私の母親くらいの年齢だったと思います。名前はエヴァさん。社内では私の部下として雇われましたが、傍からはどう見ても彼女の方が貫録もあり上司然としていました。エヴァさんは仕事の上での私の師匠でもあり、英語の先生でもありました。拙い私の英文レターを添削してくれたり、発音を直してくれたりと、嫌な顔一つせず自分の時間を割いてくれました。

 

エヴァさんは元々共産圏からの移民で、11歳の時に両親と姉2人とともにこの国に移住してきたそうです。それから、苦労して大学まで出て人事・労務スペシャリストとして様々な業界で仕事をしてきました。それだけの経験を積んできた人の意見は尊重して当たり前です。「この給料水準では会社が期待している人材は雇えない」と言い、私とともに所長に談判することも頻繁でした。

 

所長としては私たちの言い分を理解はしていても、本社からの指示には従わざるを得ません。まだ利益を上げていないプロジェクトの管理費を膨らませるわけにはいかない。とは言え、安い賃金で有能な社員を雇うことは無理。所長もまた板挟みの状態だったのです。

 

給料を上げる代わりに企業年金の会社負担率を上げるなど、知恵を絞って何とか給与体系が形になったのは、私がエヴァさんと仕事をし始めて半年後のことでした。人員も拡充し、プロジェクトが本格的に始動する準備が整いました。苦労の結果がようやく実を結んだと思いました。

 

さらなる難問

時は平成の大不況。新規の投資を行うには最悪のタイミングでした。しかしながら、せっかく産声を上げたプロジェクトを簡単に潰すわけにはいかない。人件費の他、事務所経費の削減も大きな課題でした。とは言え、事務所は3年の賃貸契約で複数年契約を条件に格安の賃借料にしてもらったこともあり、簡単に事務所移転はできません。そこで、事務所スペースの半分をサブリース(又貸し)することとしました。

 

当時、彼の地では各従業員に個室があてがわれていました。プライバシーを大切にすることも現地の風習。それを、スペースの削減に伴って大部屋にする計画を立てたことから、現地スタッフからは大きな反対の声が上がりました。私とエヴァさんはスタッフひとりひとりを説得して回りました。会社の状況に理解を示してくれたスタッフもいる一方、納得できずに所長に怒鳴り込む者も多く現れましたが、所長は一緒に“苦情処理”をするつもりはなく、私とエヴァさんが矢面に立たされました。事務所スペース削減の仕事は本来エヴァさんの仕事では無かったのですが、私の英語力を心配してか、スタッフの説得に付き合ってくれました。

 

給与にしても事務所スペースにしても、コストカッターである私やエヴァさんに向けられるスタッフからの視線は冷たいものがありました。一方で経費削減の目標は達成できず、所長からも苦言を呈される有様でした。元々できもしない難題を本社から受けてきた所長にも責任はあるはずでしたが、当時の私としては、はるかに年上の所長に盾突く勇気がありませんでした。

 

重荷に耐え切れず

そのような苦い経験を積みながら、私の最初の海外駐在はあっという間に終わりを迎えました。積極的に採用を進めても辞職する者が多く、人員拡充は思うようには捗りませんでしたが、私の帰国前までには組織として何とか機能するようにはなりました。事務所も便の良いエリアに移転する目途が立ち、各スタッフの個室も用意できました。結局私は事務所の移転には立ち会えませんでしたが、駐在の終わりにようやくささやかな達成感を味わうことができました。

 

その9か月ほど前、私は所長から帰国の内示を受け、後任者として推薦する者がいれば教えてほしいと言われました。私は、後任者は不要、むしろエヴァさんを労務のマネージャーに昇格させて、その下にスタッフをつけることを所長に提案しました。日本人の駐在員を送り込むよりも現地スタッフを雇った方が経費の節減になります。また、そもそも、現地の労務や総務の仕事は現地の事情に精通した人間でなければ捗らないと考えたからです。

 

エヴァさんは私の帰国と同時に人事マネージャーに昇格しました。まだ若いプロジェクト会社で、初めての現地人管理職が誕生しました。

 

ところが、それから1年もしないうちにエヴァさんは会社を辞めてしまいました。その間、私とエヴァさんはメールでお互いの近況を伝え合っていましたが、毎回、上司である所長に対する愚痴が書かれていました。

 

駐在中、私はエヴァさんに大いに助けられましたが、あちらも、日本人駐在員とのコミュニケーションで私を頼りにしていたようです。責任感の強かった彼女は、その重荷を共有できる人間が会社にいなくなったことで、心の拠り所を失ってしまったのです。もっとも私は彼女の聞き役に徹していただけなのですが。

 

その後、エヴァさんとは何度かメールのやり取りを続けていましたが、ある時こちらからのメールに返信が無くなり、それきりとなってしまいました。初めての駐在生活を思い出すたびにエヴァさんに助けられたことと同時に、私の力不足を歯がゆく感じるのでした。