豊かさを感じられる心

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裕福な隣人

私が学生時代に独り暮らしをしていたアパートは、郊外の、最寄り駅からバスで20分もかかるところにありました。古いアパートで、冬はとにかく寒かったです。石油ストーブで暖を取っていましたが、寝る前に火を消すと途端に外の寒さが入り込んできます。すきま風とかではなく、断熱材が用をなしていないのです。

 

さて、そんなアパートですが、別の部屋に住んでいる人とは全く付き合いがありませんでした。引っ越し当初に両隣には挨拶したのですが、その住人の方々もいつの間にか退去してしまい、気がつくと顔を知らない人が住んでいたりしました。

 

いつの頃からか、ボロアパートには似つかわしくない、身なりの良い女性が住み始めました。年齢は30歳前後だったと思います。同じ階の3~4軒隣でしたが、表札が無いので名前は知りません。駐車場には中古ですがドイツ製の車が置かれるようになりました。

 

外車、お洒落な服。時々スーツケースを引いている姿を見ると、旅行にもお金をかけている様子。貧乏学生の私としては、そんなお金があるならもっと便のいいところに住めばいいのになどと思ったものです。

 

彼女がアパートに来て一年経つか経たないかという頃、借金の取り立てが頻繁に訪れるようになりました。夜中でも構わず大声を上げドアを叩くので、借金の取り立てだということがアパート中に丸分かりです。彼女の苗字もその時に知りました。住人たちは - 私も含めて – 関わり合いになりたくないので、部屋から顔を出しません。

 

そんなことが数週間続いた後、彼女はアパートを退去しました。もしかしたら、夜逃げだったのかもしれません。

 

思うに、彼女がわざわざこんな安アパートに住んでいたのは、裕福な振りをするのにかなりお金を使っていたからなのでしょう。今となってはその理由は分かりませんが、派手にお金を使う人を見ると、裕福そうに見えるのは確かです。虚栄心からなのか、誰かを騙し続けるためだったのか、あるいは、そうやってお金を使うことで、彼女は心の安定を求めていたのかもしれません。

 

お金を使うと、もっと使いたくなる

他人の持ち物や暮らしぶりにばかりに目が行く人がいます。私の周りにもいます。「あんな服を着てみたい」、「あんな車に乗ってみたい」、「あんなところでご飯を食べてみたい」。

 

「良い暮らしがしたい」と言う人もいます。では、具体的にどのような暮らし・生活を望んでいるのかを聞くと、大概、「もっと海外旅行がしたい」、「もっと外食の回数を増やしたい」、「もっといい服を着てみたい」、「趣味にもっとお金をかけたい」。

 

この人たちが望んでいることは、本当に良い暮らしや豊かな生活と言えるものなのでしょうか。旅行や外食に“もっとお金をかけること”が目的だとすると、良い暮らしを送ることと散財することを混同しているのではないかと心配になってしまいます。

 

「もっとお金をかけたい」という願いが叶うと、いつしかそれが当たり前になります。当たり前になってしまったことからは、何の刺激も感動も得ることはできません。そして、もっとお金をかけたくなってしまうのです。慣れというのは恐ろしいものです。

 

豊かであること

知り合いと比べて、自分の自由にできるお金が少ないことが分かると、「もっと給料の良い会社に就職していたら」、「もっと稼ぎの良い人と結婚していたら」、「もっとお金持ちの家に生まれていたら」など、自分の境遇を哀れんだり、無いものねだりをしたり。本当はとっくに豊かな生活を送っていても、欲望に歯止めが利かない人は豊かさを追い求めます。

 

しかし、そういう人は、どんなにお金を使っても豊かさを感じることができません。逆に、収入が減ったり、他に優先度の高いことにお金が必要になったりしても、遊興費を減らすことがなかなかできず、愚かなことに借金をしてでも“豊かな生活”を維持しようとします。

 

豊かであることは、満ち足りている状態です。それはお金だけの問題ではなく、自分が自由に使える時間や、精神的な安らぎなど、自分を取り巻く環境全てに関わります。

 

どんなに高収入が得られても、毎日遅くまで残業して休日も仕事をしなければならないとすると、それは“豊かな生活”とは言えません。経済的な問題が無くても、家庭内の諍いが絶えなければ、それも“豊かな生活”とは言えません。今は楽しく生活できていても、将来のことを考えると不安で眠れなくなってしまうとしたら・・・。

 

「もっとお金があれば」、「もっとお金が使えれば」・・・今のご時世、大概のものはお金で手に入れることができます。それでも、こんなにたくさん良い服を買ったのに、高級レストランで美味しい食事を楽しんだのに、ふと我に返ると豊かさを感じられない。あるいは、お金を使っているときにしか豊かさを実感できないとしたら、やはりお金は万能ではないことになります。

 

豊かさを感じられる心

そう考えると、お金に頼らないで豊かさを感じられる生活というものも一考の価値があるのではないでしょうか。

 

「お金に頼らない」と言っても、自給自足生活をお勧めするわけではありません。生活するにはお金が必要です。我が家も、家を買ったり子供2人を育てたりするのにお金がかかりましたが、ようやく子育ても終わりが見え、“出費のピーク”は終わりました。

 

それまで、妻とは、落ち着いたら海外旅行に行ったり、温泉巡りをしたり・・・といろいろ計画を立てていました。今までも年に1回は家族で旅行をしていましたが、夫婦水入らずの旅行というのは、子供ができてからはありません。また、妻は自分への“ご褒美”としてブランド物のネックレスを買いたいとずっと言っていました。

 

さて、この年末年始。私は母親の顔を見に3日だけ留守にしていましたが、それでも旅行に行くぐらいの時間的な余裕はありました。しかし、妻と話をして、家でのんびり過ごすことになりました。2人ともあれだけ行きたいと思っていた温泉巡りや海外旅行でしたが、不思議と欲が無くなっていました。妻が欲しがっていたネックレスの話を振ると「どうでもよくなった」とそっけない返事。

 

あくまでも我が家の場合ですが、お金にも心にも余裕がない時は、「あれもしたい」、「これもしたい」という欲がありました。“これを達成したら、ご褒美としてこれが欲しい”といった感覚です。しかし、ひとたび不安が無くなり余裕が出てくると、そのような欲も消えてなくなってしまったようです。豊かさとは、安心感に包まれている状態なのかもしれません。