幸せレース(3)

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人並みの生活はお金がかかる?

自分では普通に暮らしているつもりなのに、生活が苦しい、貯金ができないという人がいます。どこの家も似たり寄ったりと思っても、懐事情は様々です。

 

例えば、子供の進学。親同士の話から、今や中学から私立校に通わせるのが “普通”ということを耳にすると、子供を慌てて学習塾に通わせる。子供の友達がピアノ教室に通っていると、自分の子供を一緒に通わせる。そうするうちに、放課後は習い事で埋まり、子供は遊ぶ時間も無く、夜遅くまで習い事に通う日々。

 

また、金は天下の回りものとばかりに、友人との遊びや夫婦の旅行は手を抜かない。知り合いが行った観光地は自分も行ってみたくなる。給料やボーナスはきれいに使い切る徹底ぶり。家を買う時には頭金無しの35年ローンを平気で組んでしまう夫婦。

 

ともに私の知り合いで、家計が破綻するまでの暮らしぶりです。どう見ても普通のお金の使い方では無いようですが、本人たちは人並みに暮らしているという意識だったようです。“人並みに”暮らそうとしているうちにクレジットカードや家のローンが滞ってしまい、二進も三進も行かなくなってしまう。

 

せっかくお金を稼いでも、管理ができていないと日々の生活に窮することになります。収入の範囲内で生活している限りにおいては、破産することはありませんが、お金を借りないと成り立たない生活は、常に破綻のリスクと隣り合わせにいることになります。“ちょっとだけ”のつもりの借金が、振り返ってみたら大きな雪だるまになって襲ってくることだってあり得るのです。

 

 “人並みの生活”とは何でしょうか。お金のかけ方は人よって異なります。あれもこれもと周囲の人々に倣ってお金を使っていれば、自分が一番の浪費家になってしまいます。自分が一生でどれだけ稼げるかは自分が一番良く知っているはず。それをいつどのように使うかメリハリを考えるべきところ、行き当たりばったりでお金を使っていては、一生を終える前に“ガス欠”になってしまうことは少し考えれば - 考えなくても - 分かるはずです。

 

 

ローン返済という苦行

家や車を持つこと、子供の教育費に大金を注ぎ込むことが“人並み”のことで、お金が足りなければローンを組むというのは普通のことでしょうか。人並みの生活というのは、借金をしなければできないものなのでしょうか。周りの人々が普通にやっているからというだけで、自分も“普通に”お金を借りてまでそれに合わせる必要があるのでしょうか。

 

住宅ローンなど、長期に亘って返済していく借金は、終身雇用や年功制度が維持されていた時代には問題無かったと思います。一旦就職してしまえば、会社が潰れない限り、また、自分自身がよほどの“ヘマ”をして会社をクビにならない限り、返済できる確実性がそれなりに保てたからです。

 

しかし、今の時代、会社が定年まで雇用を確保してくれる保証はなくなりました。そのような環境で、長期のローン - ましてや完済時期が定年後になるような - を組むことのリスクは以前と比べものにならないくらい高まっています。

 

一般的に住宅ローンの返済負担割合は手取り収入の4分の1と言われていますが、雇用環境が大きく変わろうとする中、住宅ローン完済まで安定した収入を得られる保証は無く、突然の減収や子供の教育費増など想定外のことがきっかけとなり、ローン返済が長い苦行に変わることだってあり得るのです。そこまでして家を買うことにこだわる必要があるのでしょうか。

 

借金をしてまで必要なもの

借金をすること自体のリスクが高まりつつあるにも拘わらず、人並みの生活にこだわる必要とは何でしょうか。人並みの生活とは、実はすでに人並みでは無くなっているのではないでしょうか。

 

「若者の車離れ」というのは、若い方々が車に興味を抱かなくなったというよりも、可処分所得の減少で、車を買う余裕が無くなったというのが主な要因と見られています。住宅についても、これからはローンを組んでまで持ち家にこだわる人は少なくなっていくと思います。

 

すでに私の周りでもそのような動きが見え始めています。賃貸マンションで暮らしている同僚は、子供が独立したら、夫婦で住むための戸建てかマンションを購入すると言っています。そのための資金も準備しているそうです。別の同僚は、定年までは通勤の便を考えて現在の賃貸マンションに住み、定年後は首都圏を離れて生活するそうです。両者とも借金をしてまで家を買うつもりは無いようです。

働き方も暮らし方も多様化している現在、“人並み”とか“普通”などという考え方に固執する必要は無くなりました。自分や家族にとって、本当に必要なときに必要な分のお金を使うことにすれば、ゆとりのある生活が送れると考えます。