和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

お金を使うタイミング

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本当に欲しかったものは宝物になる

世の中、お金持ちもいればそうでない人もいますが、お金の使い方次第で幸せにもなれば、不幸せにもなります。

 

使い方に困るほどお金を持っている人を除き、多くの人は、やりたいこと、買いたい物はたくさんあるのにお金が足りない、と感じているのではないでしょうか? 

 

しかし、少し立ち止まって考えてみましょう。これまで、お金を貯めて何か欲しい物を買った時の気持ちはどうでしたか? 

 

私は中学生の頃、小遣いを貯めてアコースティックギターを買いました。本当に欲しい物だったので、いろいろと我慢して一年間コツコツとお金貯めて買った、私にとっては宝物でした。当時の値段で約4万円ですが、お札を握りしめて楽器店まで走り、ようやくギターを手にした時の気持ちの高ぶりは忘れられません。今もそのギターは家に置いてあります。かなり弾きこんだので、フレットも摩耗していてきれいな音が出なくなってしまいましたが、私にとっての宝物ですから、手放すことなど出来ません。

 

高ければ満足か?

一方で、大学時代。授業料の支払いで大変だったにも拘わらず、周りの同級生への見栄から、大枚を叩いて買った革のジャケットがありました。“駅のそば”のデパートで、当時の値段で十数万円。奨学金で大学に通う学生が買うには分不相応な代物です。おかげでその後しばらくは食費を切り詰めなければならない始末。それでも、自分で稼いだお金でこんな物も買えるようになったと、一時の満足感を得られたのも確かでした。結局、そのジャケットですが、2~3シーズン着て古着屋に売りました。あれだけ高いお金を払った割に愛着を感じるものにはなりませんでした。今振り返ると、自分は本当にそのジャケットが欲しかったわけではなく、“値段の高い”ものを着てみせたかっただけだったのだと思っています。本当に愚かなことをしたものです。

 

まあ、自己弁護になってしまいますが、いろいろな局面で若気の至りというものはあるもので、お金の使い方で失敗したことが後々の人生で役に立つのであれば、高い授業料として受け入れることができます。私の場合、自身の失敗から学んだ教訓は、お金を払う前に、本当にやりたいことか、欲しい物かをしつこいぐらいよく考えなければならない、ということでした。物の本当の価値は値段の高低ではなく、手に入れた本人の心を満たすものになり得るか否かです。私の失敗のように、高い買い物をすることで満足感を得ようとする場合もあれば、多くの人々が欲しがっているブランド品を身に着けることで優越感に浸ろうとする場合もありますが、それで本当に自分の心が満たされているのかを再確認する必要はあるのではないでしょうか。

 

お金を使うタイミングの大切さ

湯水のごとくお金を使える人を除き、多くの人の場合稼げるお金には限界があるので、その範囲内でできること、買える物を決めなければなりません。使うタイミングを間違えると、本当に必要なものを逃してしまうことにもなります。目先の欲しい物を買ってしまったことで、あとで本当に必要な物を買うお金が無い、なんてことになったら何のために働いてきたのか分からなくなってしまいます。稼ぎのいい仕事に就いていても、使いたいだけ使っていたら、将来本当に欲しいものが目の前に現れたときに手が出せないということにもなりかねません。

 

一生に同じだけお金を稼げる人が2人いるとしましょう。一方は、その時々で欲しい物を買う人。もう一方は、一生で手に入れたいものを予め決めておいてその時のために計画的にお金を使うことを考えている人。どちらが最終的に真の満足感が得られるでしょうか。

 

私と妻は、新婚当時に話し合って決めた“夢”を実現するために、「やりたいこと」や「買いたい物」があっても決して衝動的にお金を使うことはしないよう心掛けてきました。ウィンドウショッピングをしていて気に入った物があっても、しばらくして考え直してみると、さほど欲しい物ではなかった、という経験はありませんか? 

 

私の娘たちは、大学生になりアルバイトをして自分の欲しい物を買えるようになりました。私は娘たちに、欲しい物は3回考えてどうしても欲しかったら買うようにと言い聞かせています。それでも親の目から見ると、“なんと無駄な”という買い物をしていると感じることもあります。ただ、これは彼女たちの価値観ですので、親とは言え、そこまで踏み込むつもりはありません。いずれ、彼女たちにも、無駄なお金の使い方と必要なお金のかけ方の違いが分かるときがくるはず・・・と信じています。