和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

お金を貯める方法(1)

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 お金で苦労はしたくないという思い

お金の心配をしたことが無いという人は、これから私が書くことは役に立たないと思います。また、投資や運用をしてお金を増やす話でもありませんので悪しからず。

 

私の父親は町工場を営んでいました。従業員4~5人程度の零細企業でしたが、私が中学に進む頃までは羽振りもよく、週末は外食が当たり前。私と弟2人もそれが普通だと思うようになっていました。栃木の田舎に別荘用として土地を買ったり、小型クルーザーを買ったりと、成金を絵に描いたような暮らしぶりでした(ちなみに栃木の土地はいわゆる「原野商法」に引っかかって買ったものだということが後になって分かりました)。

 

しかし、バブル期に事業を広げようとしたことが裏目に出て経営に行き詰まり、私が就職を控える頃には父は借金返済の金策に走り回る毎日でした。クルーザーを手放し、事業拡張のために購入した機材を売り払い、専業主婦だった母も働きに出て借金を返し続けましたが状況が良くなることはなく、会社が潰れるのは時間の問題となりました。大学入学後、私は父と折り合いが悪くなり家を飛び出していたので、父の会社が立ち行かなくなっているということにそれまで気づきませんでした。

 

私が就職した年、父親に会社を畳むよう説得しました。家を売れば借金を返して、どこか片田舎でのんびりと暮らすことができると。それから5年も経たないうちに父は他界しましたが、わずかな期間とは言え、母と水入らずの老後生活を満喫できたのがせめてもの救いだったと思っています。

 

そんな親の姿を見ていて、私はお金で苦労はしたくないという思いを強く持ちました。決してぜいたくな生活を望むわけではなく、ただただ苦労はしたくないという思いです。

 

マイナスからスタートした新婚生活

私は入社後、とある地方の事業所に配属となり、そこで地元出身の妻と知り合いました。妻は高校を卒業して、私よりも数年先に社会人になっていました。独立心が強く、就職してほどなく一人暮らしを始めていたので、少ない給料でやりくりしていくことに慣れていました。派手な生活を好まず、服装も地味、化粧っけもあまりありません。育った環境こそ異なるものの、私と妻の経済観念は割りと近いものでした。

 

二人が結婚したのは、私が25歳、妻が26歳のとき。私は給料が少ない上に、奨学金の返済や同僚との付き合いで、貯金はほとんどありませんでした。結婚式は無しで済ませたかったのですが、妻の両親は親戚一同を集めた“立派な”披露宴にこだわったため、想定外の費用が発生しました。私は会社から借金をしてこれに応えましたが、ご祝儀では結婚費用を賄いきれず、借金が残りました。このような事情もあり、私たちの新婚生活は“ゼロ”からではなく、“マイナス”からのスタートとなったのです。

 

ところで、今の人が聞いたら、「ありえない!」と驚かれるかもしれませんが、当時私の会社では、男性は総合職、女性は一般職(総合職のサポート業務)で入社。女性社員は結婚したら“寿退社”するというのが暗黙の了解でした。ですので、会社の女性社員はほとんどが20代。もっとも当時は結婚年齢の平均も今よりずっと低かったせいもあります。

 

そんな会社にあって、妻は結婚後も仕事を続けたいと上司に伝えました。「結婚したら退職しなければならない」などという社内規則はありません。上司は理解を示す振りをしていましたが、会社のしきたりを中間管理職が覆すことなどできません。結婚式を2か月後に控えたある日、私は上司に呼ばれ、東京本社への異動が告げられました。当時は「遠距離婚」などという言葉も聞かない時代。社内でも、当然妻は私について行くという空気が流れ、妻としても仕事を続けづらい雰囲気になり、結局退職の道を選びました。

 

なお、現在私の会社では、総合職、一般職という区分けも無くなり、女性社員の産休・育休制度も確立しており(男性社員の育休もあります)、女性社員が結婚しても仕事を続けられる環境が整っています。“寿退社”の女性社員の穴埋めのために高いコストを払って社員を採用し教育するよりは、仕事に慣れた社員に働き続けてもらった方が会社としても都合がいいということです。

 

話がそれてしまいました・・・。こうして妻は私について東京での生活を始めることになったのですが、家でじっとしていることなどできない彼女は、引っ越した翌日には派遣会社への登録を済ませていました。

 

お金に関するルール

東京での生活は、新婚用の社宅からスタートしました。昭和30年代に建てられた古いアパートで間取りは2K。洗濯機の置き場はベランダ、湯沸かし器を自分で買わなければならない作りでした。それでも、相場に比べれば割安な社宅料でしたので、ありがたく思いました。妻は新婚気分も冷めやらぬうちに、派遣会社を通じて都内にある小さな会社の事務員として働き始めました。2人の収入はたかが知れています。借金を返すと毎月の手取りはわずかばかり。それでもなんとかやりくりできたのは妻が働いてくれたお陰です。今でも妻には頭が上がりません。

 

さて、結婚する際に夫婦でいくつかルールを決めましたが、お金に関するものは次のとおりです。

①お互いの収入は隠さない。

これは、この後出てくる②「お金の管理は妻が行う」の前提です。結婚した以上、生活は夫婦で連帯して責任を負う。収入は個人のものではなく、夫婦2人のものということにしました。  

 

②お金の管理は妻が行う。

結婚当初は闇雲に倹約を試みていましたが、2~3か月もするとひと月の生活費が分かってきたので、必要な生活資金以外は郵便局の定額貯金に回しました(昔は金利がとても良かったのです)。毎月の給料日の直後、妻はそれぞれの給与口座から給料を引き出し、まず生活資金以外を定額貯金回します。生活資金は使途ごとに封筒に分けて管理しました。公共料金は引き落とし用の別口座に移します。私はバンクカードは持っていたものの、自分の口座はほぼ空なので意味がありません。小遣いがなくなったら次の月まで我慢するか、妻の小遣いから前借りしていました。 

 

③ボーナスは貯蓄に回す。

 結婚当初は、バブル崩壊後の先行きが不透明な時代。この先何が起こるか分からないという危機感から、生活は毎月の給料の範囲内で行うよう心掛けました。ボーナスは貯蓄に回すことにしましたが、倹約に努めた自分たちへのご褒美として、各自の小遣い1か月分をボーナスから出すようにしました。

 

この後、お金に関するルールは適宜見直しされるのですが、基本的に結婚当初と生活のレベル感は変えていません。

(続く)