和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

元気な証拠

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リハビリ月間

妻は、3月終わりに左乳房摘出の手術を受けて以来、週1回病院に通っています。病理検査の結果、今後の治療方針が決まるそうですが、それまでの間は、抗がん剤の投与もストップしているため、体調が良いようです。

 

元来、じっとしていられない性格の妻ですが、時節柄、方々に出かけることは好ましくないため、日々の散歩タイムが妻にとって数少ない楽しみになりました。退院後からこれまで、雨の日を除き朝夕の30分程度を散歩の時間にしました。飽きないように、私がグーグルマップを見ながらコースを決めます。思えば、一年前の今頃も、ほぼ毎日家族でウォーキングをしていたので、その習慣が戻ってきたようなものです。もっとも今は妻の歩調に合わせた、文字通りの散歩です。

 

妻は通院の時以外、半年近く家から出ていなかったので、足腰の筋力が著しく低下していました。散歩を始めた当初は、片道10分強の最寄り駅までたどり着くのがやっとの様子でした。帰り道は肩で息をしながら、行きの倍以上の時間をかけてゆっくり歩きました。それが今では、歩ける距離も伸び、速さも上がってきました。

 

妻の元気な証拠

体が動かせるようになっても、散歩と左腕のリハビリ以外にやることもないので、妻は時間を持て余していました。とは言え、左手がまだ上手く使えないため家事は任せられません。こちらが、じっとしているように言うと、邪魔者扱いしていると拗ねる始末。そこで私は、これまで半年余り私がつけてきた家計簿の点検を妻に頼みました。これで、しばらくは大人しくなるだろうと考えていたのですが、早速妻から食費が予算オーバーとの指摘がありました。

 

妻の闘病開始以来、料理や食材の買い出しは私と娘たちが交代で行なうようになっていました。買い出しは週2回、3日~4日分の献立を考えて必要な食材を買うようにしていましたが、元気になった妻から、特売日に合わせて買い物をすること、安い材料を買うこと、冷蔵庫の中にあるもので献立を考えることを念押しされました。

 

毎日の献立を考えて、それに必要な食材を買うとなると、割高な買い物になると言うのが妻の考えでした。基本は、冷蔵庫の中にあるもので料理を考えること。手元にあるものでマンネリにならないように献立を組み立てるのが、本当の料理上手 – と言うのが妻の持論です。

 

確かに、食費が嵩んでいたのも、作りたい料理有りきの買い物を続けていたからなので、私も娘たちも妻に反論できませんでした(娘たちのおやつが増えているとの指摘もありました)。

 

「だから、あなたたちには買い物を任せられないのよ」とため息交じりの顔は、闘病前の妻のそれでした。退院後も、妻には人混みは避けるように言っており、スーパーなどへの買い物も私と娘が引き続き担当していましたが、この週末は、妻がどうしても買い物に行きたいと言って聞きませんでした。そこで、止む無く、開店直後の比較的空いている時間帯に妻をつれてスーパーを訪れました。

 

久しぶりの買い物を楽しむ妻を見て、体調が良い間は、できるだけ外に連れ出そうと思いました。もちろん、感染予防は気を抜くことは出来ませんが、普段通りの生活を送れる環境を整えようと考えています。

 

買い物の結果は、3日~4日分の食材を買いましたが、私や娘だけでの買い物に比べて格段に安く済んでいることが分かりました。

 

キッチンに立つ時間が増えるに伴い、私の料理熱は高まりました。料理関連の本の冊数とともに楽しみも増えた気がしました。老後のひととき、そば打ちや手の込んだ料理に没頭するのも悪くないと思っています。

 

そんな私の心が読めたのでしょうか、妻がポツリと言いました。「家でそば打ちの勉強をするより、美味しいおそば屋さんに連れて行ってくれた方が、家族に感謝されるわよ」。

 

財布のひもが締まり、憎まれ口を叩くようになるのは妻が元気になった証拠です。

続 結婚と損得勘定

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パートナーと言う道具

私の職場の元先輩の話です。その元先輩、O子さんは妹のM子さんと共にうちの会社に勤めていました。私が入社3年目から4年目で、O子さんはちょうど30歳、M子さんは20代半ばだったと記憶しています。

 

妹のM子さんは、学生時代の彼氏と結婚して退社しました。一方のO子さんは、当時私の2つ上の先輩、Kさんと付き合っていました。社内では、二人の結婚も間近との噂も流れていましたが、意外なことに、それから半年も経たずに二人は別れてしまいました。聞くところによると、O子さんは、妹のご主人の勤め先を意識しており、“もっと良い会社”の男性と付き合いたいと言う理由でKさんを振ったのでした。

 

私はそのことをだいぶ後になってから – O子さんの結婚が決まってから - Kさんから直接聞きました。O子さんはKさんを振ってから2年ほど後に、同業他社の男性と結婚したのですが、私やKさんはその方と仕事上、親しい付き合いがあったので驚きでした。

 

Kさんは、O子さんのことをかなり恨んでいて、独身を貫いている理由を「O子のせいで女性不信になったから」と、今でも冗談とも本気とも取れる言い方で話のネタにするくらいです。

 

さて、元の話に戻ると、私やKさんと、O子さんのご主人のHさんとは半年に1回くらいのペースで飲みに行く間柄でした。O子さんやM子さんの様子はHさんから入ってきました。

 

妹のM子さんは結婚後、男の子2人の母となりましたが、HさんとO子さんの間には子供はいませんでした。そして、それから3年足らずで二人は離婚してしまいます。

 

ちょうどその頃、私が最初の海外駐在のために日本を発つ直前に、Hさんが壮行会を開いてくれました。その際に、Hさんの口からO子さんと別れたことを告げられました。そして、問わず語りに、二人の間に子供が出来なかったことでO子さんが“参ってしまって”夫婦関係を続けられなくなった、自分は用済みになったと、Hさんは話しました。

 

妹夫婦への対抗心は子供だけに限らず、住まいや車など生活全般に亘っていたそうです。O子さんの様子が常軌を逸するようになると、Hさん自身も体の変調を覚えるようになり、夫婦共倒れになる前に離婚を決意したようでした。

 

それ以来、O子さんの様子を窺い知ることは出来ません。一方のHさんは、それから10年近く後、40歳を過ぎたばかりの時に同じ勤め先の女性と結婚し、その後、男の子を授かりました。

 

O子さんが妹への対抗心からHさんと結婚したとは思いたくありませんでしたが、もし、それが本当なら、HさんはO子さんに都合良く利用され、振り回されただけの結婚生活を送ったことになります。

 

分岐点としての結婚

以前、結婚と損得勘定について記事を書いたことがあります。

lambamirstan.hatenablog.com

 

経験を重ね、良い意味でも悪い意味でも知恵がついてくると、パートナー選びがより現実的・打算的になるのではないかと思います。それは、恋愛経験に限らず、学業を終えて仕事に就き、周囲の既婚者からの話を聞くにつれ、結婚生活の現実を自分なりに理解しようとする中で、純粋な恋愛対象探しが、理想の結婚生活実現を前提とした相手探しに変質するからではないでしょうか。

 

“打算的”と言うのは悪い言葉かもしれませんが、パートナー探しの意味合いが、好き嫌いと言う心情的なものよりも、“経済的により安心して暮らせる環境”や“将来自分の面倒を見てくれる人”と言う実利的なものになると言うことです。自分にとって理想のパートナーを射止めることは、その後の人生の成否を左右することになると言う考え方です。

 

あるいは、自分を良く見せるための装飾品と勘違いしている人もいます。パートナーの容姿や学歴、または勤め先を人一倍執着する人は、周囲の目を気にする一方で、相手の本質に目を向けることをしません。

 

そういう人々にとっては、結婚は人生の分岐点なのでしょう。それによって、自分の人生が左右されると信じているのですから。

 

合流点としての結婚

しかし、高収入、容姿端麗、家柄、学歴 - それらの優劣を基に、自分の将来を託す相手を決めてしまうことが是なのか。そもそも、自分の行く末を誰かに委ねることは正しい選択なのかと言うと、私は疑問を感じます。

 

職業や年収に重きを置いて相手を選んだとしても、相手がリストラに遭ったり、事業に失敗して財産を失ったりすれば、結婚相手を選んだ際の前提条件が狂ったことになります。パートナーが病気や不慮の事故で介護が必要な状態になれば、自分の面倒を見てもらうどころでは無くなります。損得勘定だけで決めた結婚であれば、その時点で相手と共に暮らす理由が無くなってしまいます。

 

そう考えると、結婚を人生の分岐点にしてしまってはいけないのかもしれません。分岐点では無く、それまで全く別の道を歩んできた誰かとの合流点と捉えるべきではないでしょうか。そのように合流できる相手こそが、一生を添い遂げるパートナーになるのだと思います。

厚意と感謝

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気遣いの輪

電車やバスで、お年寄りや体の不自由な方に席を譲った経験がある人は多いと思います。逆に、具合が悪い時に席を譲ってもらい助けられた経験をお持ちの人もいるでしょう。

 

見ず知らずの人に手を差し伸べる時、無意識のうちに自分を相手の立場に置き換えて、“そうしてもらえたら助かるだろう”と言う想像力が働くから、自然と体が動くのだと思います。

 

交通機関での席の譲り合い然り、困っている人を助けることは、それによって直接的な見返りを求めるものではありませんが、そのような気遣いや思いやりが、やがて自分に返ってくることを期待しているからだと私は思います。

 

私や私の家族も、年齢と共にいつか体の自由が利かなくなる時が来るでしょう。また、ある日突然、不慮の事故に巻き込まれて体に障害を抱えることがあり得るのです。そのような時でも外出したり、社会との関わりを持ち続けたいと言う願いを叶えるためには、周囲の – ときには見ず知らずの - 人々の支えが必要になります。

 

多くの人々が、他者への気遣いの輪が広がり、心豊かな、安心して暮らしていける社会になることを心の底で望んでいるのだと思います。そのような思いが厚意につながるのだと考えます。

 

独りよがりの思い

今日、社会的弱者が生活しやすくするためのインフラ整備は進んでいるものの、必ずしも万人にとって十二分なものになっているとは言えないのが現状です。そのような環境の中、個々人の無償の善意が、高齢者や体の不自由な方をサポートする大きな原動力になっています。しかし、気遣いや思いやりは、見返りを求めない以上、自分から相手への一方的な厚意(行為)なのです。困っている人を助けるか否かは自分の気持ち次第です。それを高齢者や体の不自由な立場から見ると、助けの手を受けられるか否かは、相手の気持ちに縋る以外無いわけです。

 

そう考えると、見返りも無く強制力も無い思いやりは、良心ある個人の独りよがりの行為であり、それは受け手側次第で脆くも崩れてしまう危険を孕んでいると言えないでしょうか。見返りを求めないとは言うものの、手を差し伸べる行為に対して、それが当然とでも言わんばかりの振舞いをされたり、援助することを強要されたりすれば、潜在的支援者の反感が募り、やがて支援の輪から人々の心が離れてしまう結果にもなり得ます。

 

支えてもらう側が卑屈になる必要はありませんが、他者の厚意に対して感謝で応えることができなければ、思いやりの輪は潰えてしまうでしょう。

 

厚意と感謝

大分前に読んだネットニュース(と記憶していますが)で、こんな話がありました。中国では、路上で事故に遭遇して倒れていた人を救助すると、被害者が救助者を“加害者”だとして訴えることが往々にして起こるため、事故を目撃した人々は関わり合いになって自分が加害者にされることを恐れて、見て見ぬふりをして通り過ぎてしまうのだと言うのです。その結果、助かるはずの命が失われる結果ともなるのです。

 

被害者としては、事故の賠償をしてもらえるのであれば誰でも構わないと言うことなのでしょうか。いずれにせよ、もし、これが現実のことなのだとすると、何とも嘆かわしいことです。国は違えども、もし私たちが同じような状況になったら、厄介事に巻き込まれたくないと言う気持ちを抱くことでしょう。

 

私たちの国では、まずそのようなことを心配する必要は無く、親切心が真逆の結果になることは考えられません。しかし、そこまで極端なことが起こらないにしても、自分の厚意が相手の心に届かなければ、善意の気持ちは萎えてしまいます。

 

大分前の話になりますが、私の知り合いは、社会的弱者の自立を支援したいとボランティアを始めたものの、相手方からの心無い言葉や支援されるのが当然と言うような態度、また、ボランティア団体から、支援活動を第一に考えるように強いられたことに嫌気が差して、一年余りの活動の後、ボランティアを辞めました。もう二度と関わり合いになりたくないと、その知り合いは言います。

 

ボランティアでの支援を、恩着せがましく言うのはもってのほかですが、善意の人々の厚意によって支えられている活動を、当然のこととして受け止める人がいるとしたら、思いやりの輪は成り立たないと思います。高齢や身体に障害がある人は、周囲の人々からの助けを享受することに卑屈になる必要はありませんが、支援を受ける特権があるわけではありません。無償の支援に応える術は、差し伸べた手が役に立っていることを言葉で伝えることなのではないかと思います。

 

厚意に基づく支援と、それに対する謝意、両方が噛み合うことで、人々の間に相互扶助の気持ちが広がっていくのだと考えます。